作庭記仄聞 ー瞬きと永遠のあいだの庭ー
鷹見明彦

「頭を挙ぐれば参照あり。
もとこれ住居の西」   夢窓国師

 憶いかえせば、とがったこころを抱えて一人旅することが多かった20代の日々に、旅先で訪れたさまざまな寺社の庭で過ごした時間には、それが名庭であれ蕪れた廃園であれ、現世の傍らに照り映える光に胸裡が明るむ刻があった覚えがある。
 遺された庭には、遠い乱世に行脚山水河原者や石立僧によって造られたという由緒の庭も、少なからずあった。雪舟や夢窓の伝説の背後に、修羅の世に庭をのこして去って行った無名の作庭家たちの後姿に思いを馳せると、静粛の庭を吹きぬけていく風音とともに、庭が動き出すのだった。・・・・庭に招かれて、庭を辞去するその瞬間から隔った寂境に照らされる無常の生命の光陰に、「瞬きのあいだに永遠が在る」という声を聴いた日があった。
若い建築家とアーティストが共同作業でインスタレーションの「庭」を創るので、そのプランと彼らの
それぞれのこれまでの作品について記すテキストを頼まれた。《乳化景》と名づけられた、そのつかの間の「庭」の現れを想像すると、過ぎた日に出逢った多くの庭と時間の記憶、そしてあの地籟のようなひとつの声がよみがえりもした。
 彼らー赤坂知也と大竹敦人によるセゾンアートプログラムのプランとは、アート・フェアが開かれる会場のロビー空間で、そのガラス張りの建築の内外の構造や環境と関連して、来場者が参入できるインスタレーションの場を創り出すという企てだった。第7回を迎えるNiCAF(国際アートフェスティバル)には内外から参加する参加する多数のギャラリーやアートに関わる組織が、広い会場にそれぞれのブースを設営して、取り扱うアーティストの作品や資料を展示する。来場者は案内マップをたよりにパーテーションで仕切られた各ブースを巡り歩く。観客の立場からすると、美術作品がIT機器や自動車などのフェアと同様にプレゼンテーションされるので、その美的価値と物品的価値をめぐって、美術館やビエンナーレなど鑑賞本意に誂えられた場合とはちがった視野が開かれる機会でもある。
NiCAFの会場となる東京国際フォーラムは、丸の内のオフィス街と銀座との境界に位置するコンサートホールや会議場を含む多目的施設である。中空に浮かぶ巨船の骨組みのような流線形のフレームが透視される建築は、JRの線路脇にそそり立ちながら、半透明なガラスの構築の谷間に湾曲したパサージュ(交通路)を開いている。ガラス壁を滑り落ちる光が樹木に零れるその場所は、施設の利用者ばかりではなく、多くの通行人が行き交い、時に憩う空間になっている。ほの明るいガラスと街路樹のパサージュを訪れた者の視線は、おのずから左右のガラス壁ごしに透層された建築空間の内部へと導かれる。
 今回、セゾンアートプログラムが参加するのは、アートフェア会場の入口にあたるガラスホール棟ロビーギャラリーのフロアである。通例では、ここからパーテーションで仕切られた各ギャラリーのブースがはじまるところだが、出品を依頼された建築家とアーティストは、それぞれの作品を紹介するよりも、アートフェアと東京国際フォーラムという会場空間のシステムと特性を分析して、この機会のみ可能な全体のフレームを脱構築するようなコラボレーションの可能性を提案した。
 赤坂と大竹のそれぞれのこれまでの作品と方向性を推し進めた地点に描かれたプランは、「美術活動において従来的である展覧会への偏重を廃し」、むしろ創造の現場に立ち合っていくことを目的として、固定化されない柔軟で多様な活動を行う」というセゾンアートプログラムの理念を具現化する試みといえる。2人の「作庭家」の熱意に応えて、この「無為の庭」のために助成や資材を提供された支援企業、協賛メーカーをはじめ各分野のサポーターとの共同作業のプロセスをとおして、新たな価値の創出と提起が行われる。

《乳化景》の」「乳化」とは、テンペラの絵の具やマヨネーズのように滑らかな乳液を作ることをいう。水と油、卵黄と酢など性質の異なる成分の溶合については、その比率や攪拌のスピード、室温などが大きく影響するという。個々の成分の品質だけでなく、諸条件のバランスが満たされたときに、奇跡のように滑らかな溶融が生まれる。
 ガラスとフレームの間から透過光が射し込む東京国際フォーラムの各所で、直接ガラス球やステンレス鏡面、リスフィルムに撮影されたピンホール写像と多様な導線を導くスリットのある間仕切りや可動式の引き戸フェンス、2つの壁の間に生まれるパサージュ、内部に闇を貯めた棟状の構造物などによって織りなされる場景ー写像となって反転した外景と現実の環境のあいだを揺れ動く人間は、同時に記憶の像として定着された過去と未来の時間を行き交い、さまよう者でもある。そこでは、実像と虚像が身体的な体験をとおして、複次元の反映と交錯のゆらぎのうちに溶融/〈乳化〉する時空が開かれる。
 このロビー空間のオープンスペースの一画に造営される場景へのアクセスは、どこからでも可能なのだが、それは、都市の内部、現代建築とイヴェント空間の一隅につかの間、出現した「庭」と見立てることができる。実際に簡便な工業材や新素材によって、仮構されるこの場景には、その場への観客の来訪と回遊や休憩といった体験を想定するについて、日本の書院や庭園の結構が援用されている。
 展示場への来場者が多く見込まれる有楽町側ロビーから《乳化景》へのアプローチには、アートフェアのチケット・カウンターが含まれている。所定の「パーテーションで仕切られた展示ブース」というフレームが変容して、新たな関係と場が形づくられていくモデルとして、このチケット・カウンターから囲いを解かれた《乳化景》という「庭」へのエントランスは設計されている。
 チケット・ブースの裏にはいると、仕切り壁と「庭」に通じる間口を開けた壁のあいだに狭い空間がある。日本家屋や茶室の露地や坪庭にあたるそのスペースには、半球型の立体が置かれている。《崩落の受皿》は、半球の内側のステンレス鏡面に東京国際フォーラムの頭上の空間をピンホール撮影で映し込んだ立体写真である。坪庭の蹲踞や井筒が水鏡となって、周囲の風光や空を映し出す様子が連想されるだろうか。
 《崩落の受皿》を配する《Entrance》は、仕切り壁を抜けて、内側へとつづいている。間口をはいって、右手には、仕切り壁から上部が覗いていた円筒型の黒い鉄製の塔が立っている。《Brillant daekness》は、ひとつの平面をスパイラル状にぐるりと巻いたようなシンプルな形態である。側面のくぐり口をはいると、暗闇に包まれる。螺旋形の内部にそって進むと暗順応した眼に光点の輝きが観えてくる。湾曲した塔の内壁に開けられた小さな孔の上に取り付けられた沢山のガラス球に、反転した外景が映り込んでいる。《光闇の器》では、ピンホールによる球体写真の原理と造影がカメラの内側にはいった状態で体験される。
 塔からは、2種類の壁が平行に伸びてパサージュ(交通路)を作っている。外側の壁は、蜂の巣状の格子がす透しのアルミ材(アルミハニカム)製の引き戸による《Layer walls》と、固定された壁面に現場で複眼のピンホール撮影した写像を嵌め込んだ《方眼一致》とで構成される。ここは、障壁画や御簾といった伝統家屋にみられる空間演出が投影されている。内側に連なる《Propa*Gate》は、パサージュと「庭」とを区切る壁である。それは、全体の軸線に基づくスリットによって分割され、鏡面のスリットをとおしてパサージュと「庭」の間を交通する視線の動線を創り出している。
 《Propa*Gate》の向こうに展がる「庭」のゾーンは、ガラス球に乳剤を塗ってピンホール撮影した大小の球体写真、約40個を配置した《乳化庭》と、フェイクファーで覆われた緩やかな傾斜をもつ《Lying hill》によって形作られる。《Lying hill》と《乳化庭》を結ぶ軸線は、建物の中央軸から4°南側にずれている《乳化景》全体に対して、中央軸に合致している。来場者は、過去の記憶としての写像に現在の映像を反映する球体写真に移動する自身の姿を重ねながら散策したり、心地よい肌ざわりの斜面に寝そべって、この多次元的な時空に展かれたつかの間の「庭」を眺めるときを持つことだろう。

 《乳化景》の「作庭」では、おもに建築的な構造物に関しては、赤坂知也が、各種ピンホール写真による作品については、大竹敦人が制作した。全体の構成、とくに動きのある視線を誘発する場の生成をめぐっては、短期間に交わされた密度の高いコミニケーションのプロセスをとおして、練り上げられた。その成果として、シンプルでありながら訪れる者の身体性と意識下に潜在する認閾に相互作用するバランスとテンションに開かれた場のプランが生みだされた。2人のこれまでの作品を観てきた者には、それはまた、それぞれのプロセスのエッセンスがよき対話者を得て、随所に生かされた好機であったと見受けられる。
 赤坂知也の作品といえば、まず東京芸術大学建築科に在学中に第一回ジャパン アート スカラシップ グランプリの受賞作として、青山スパイラルガーデンで発表された《記憶の形をした3つの小曲ーSPIRAL GARDENの為の仮説的レスタウロ》(1991)があげられる。これは、スパイラルガーデンの円形のスペース全体に観客が内部にはいって体験する建築的な仮説空間を設置した大規模な作品であった。鉄パイプやトタン、錆びた鉄板などで仮設された工事現場のような空間にはいり込むと、靴を脱いだ足裏に感じるアスファルトの触感、闇の中に不意に降りしきる雨や水流、開かれた視界に拡がる檜の木片の海から昇る木の香などによって、5感に作用する状況に晒される。その巡りを終えた観客は、スパイラルガーデンのカフェという日常へと階段を降りて、ひとつのドラマから帰還する。《記憶の形をした3つの小曲》に内蔵された檜の海は、龍安寺の庭に想をえたというが、《乳化景》を構成する《Brillant darkness》の闇、パサージュや《Lying hill》を巡りつつ《乳化庭》へと誘う結構には、仮説空間による現実の建築空間ち駆け引きを軸に展開する赤坂のテーマとモティーフの変奏と通奏が聞き取れる。身体的な体験とドラマの場として、空間の時間性を追い求めるのは、学生時代に体験した舞踏の舞台から一貫している。
 《Le passage et La place》(2000)は、外側からの通路と内のスペースとの間がガラス壁によって仕切られたギャラリーで発表されたヴィデオ作品である。ガラス壁をテープで分割した透明なスクリーンに3台のプロジェクターで照射された映像がある間隔でスライドと休止を繰り返す。Le passage(交通路) La place(広場)に見立てられた空間を訪れる者は、幾重にも分割され透過しながら交差する平面に自身の移動と静止をくり込むうちに、現実からコンピューター上に広がる空間意識の投影に「新しい遠近感」を紡いでいく。《乳化景》の《Layer walls》と《Propa*Gate》の間のパサージュ、分割とスライドによる遮閉とスリットや「庭」とパサージュの設定などに《Le passage et La place》の試行は連続している。

 大竹敦人は、ピンホール写真という原初的な写像技術をつかって、さまざまな環境や時間の像化に取り組んできた。IT社会の急速な進展は、人間性を仮想現実の臨界に解体する陥穽をはらんでいる。CGやディジタル・アートの一方で、ピンホール写真をあらためでメディアとして捉え直すアーティストが少なからずいたりするのは、プラトンの洞窟の喩えではないが映像という視覚による自己認識と世界との距離を設定する窓のゆらぎをめぐる危機感やあらたな欠乏からの衝迫が生じているからだろう。
 大竹の初期作である《Dialogue》(1997)のシリーズは、大型のステンレス鏡面に写像を焼き付けて空間に配置し、周囲の空間や観る者の姿を写真のなかに映し込む作品だった。1997年に新宿の百貨店でペデストリアン・デッキで制作された《View of Time》では、人が行き交う通路に面した側壁に直接ピンホール・カメラを仕組んで、壁面に外景のピンホール写像を定着させた。以降、特定な環境と場所で撮影し、その現場に関わって設置するピンホール写真が大竹の作品の基本形となった。窓をレンズにして部屋ごと暗箱カメラ化した《mirage》(1999)では、リス・フィルムに反転して写る窓からの映像が実景に重なるような屋内なセットされた。大竹のピンホール写真による作品のなかでも、もっとも独創的とおもわれるのは、今回の《乳化庭》を構成する球体写真だろう。透明なガラス球に乳剤を塗って、露光可能な場所においてピンホール撮影を行うと、球体面に180°の世界を写し込むことが出来る。これは、ヒトの眼球にほぼ重さなる視角である。球体写真から派生した作品に、《ALEF》(2000)がある。遮光した温室の内側の各所にピンホールになる孔を開けて、ガラス球を取り付けると、球体の内に映り込む外界の光像がリアルタイムで輝くのが見える。《ALEF(アレフ)》とは、J.L.ボルヘスの短編に出てくる超次元の器である球体の名だが、《乳化景》の鉄塔内の闇にも、「あらゆる角度から見られた地球上のすべての場所が、混乱することも解け合うこともなく、それぞれの形状をはっきりと保ちながら凝集している」とボルヘスが記したような空間が現れるだろうか。

 いつか、行方を定めない旅の日の途上に、迷いこむようにして訪れた「庭」で過ごした時間の恩寵を憶い出したのは、《乳化景》のCGを前に2人の若い「作庭家」たちが語るプランを聴いた冬の午後だった。
 乱世のさなかに意匠を凝らして造られた枯山水の庭は、その寂境にはいり込むと、自分という小さな存在も一部となって、無常に動いていく宇宙のあり方を示してくれた。おそらくは、予期せずに、《乳化景》という未知の「庭」に歩み入る人びとが、瞬きと永遠のあいだに現れたその場所で、日常の慣性から出て、交差する時空の内に乳化され、そこからまた新たな孵化がはじまるようなときが生まれればよい、と希う。

(たかみあきひこ/美術評論家)

Back